ミレニアム・プロミス・ジャパン(MPJ)

極度の貧困は根絶できるはずだ
私たちの孫の時代ではなく、
私たちの世代のうちに
極度の貧困は根絶できるはずだ  私たちの孫の時代ではなく、私たちの世代のうちに

モザンビークのミレニアム・ビレッジ視察2

理事長鈴木りえこは、首都マプトから飛行機で2時間半ほどの都市ナンプラから車で約2時間のミレニアム・ビレッジ、メコンタ(ナンプラ州)も視察しました。この村は、ユネスコ世界遺産であるモザンビーク島への橋のたもとにあります。海が近くて、開放的で、とても気持ちの良いところでした。村人と子供たちが食用のウニをとっていました。
ただし、首都から遠いためかゴザ州シブトのビレッジより貧しいという印象をうけました。
村人は農業組合、漁業組合などの組織に分かれ、それぞれ大判紙に手書きした問題点を説明してくれました。農業では、種子と肥料を購入するための援助、漁業では手作りの船のエンジンを必要としていました。
日本で彼らの写真を見せると「きれいな洋服を着ている」と指摘されることが多いのですが、これは彼らが私たちのために一番良い洋服を着てきてくれるためでもあります。
Meconta村農業組合.jpgモザンビーク島の漁師.jpgウニを取る村人.jpg

駆け寄る子供たち.jpg青空教室.jpg廃墟となった学校.jpg

最も印象的だったのは、小学校訪問でした。時間の制限で予定に入っていなかったようなので、突然訪れたトラックに乗っている外国人を見て、200人余りの子供たちが駆け寄ってきました。彼らはハリケーンで校舎の4分の3を吹き飛ばされ、いくつかの大きな木の下で青空教室で学んでいました。握手しようとして手を差し出すと、10人ほどの子供たちに一度に手を握られました!先生が「ダメよ、離れて!」と追い返そうとするのですが、騒ぎは収まりません。
訪れただけでこんなに歓迎されたのは初めてです。MPJ理事の遠藤貢東大教授によると、かつてアフリカでの紛争といえばモザンビークの紛争をさし、緒方貞子元難民高等弁務官がモザンビークの難民キャンプでは子供に笑顔さえ見られなかった、とその苛酷さを指摘なさったと教えてくださいました。紛争が十数年前に終わり、今ではこんなに明るい笑顔を見たことがないと思ったほど、輝いた瞳をもった元気いっぱいの子供たちでした。
私たちはこのかわいらしい子供たちに画用紙(地元コピー紙)とクレヨンを贈り、絵をかいてもらいそれを商品化したいと願っています。それを売って、彼らに机や教科書をプレゼントしたいのです。もちろん、できれば校舎も!
モザンビーク島にあるゲストハウス(お湯も電気もなかった)に泊まりました。バスコダガマが訪れた地で、モザンビークの最初の首都があった街だそうです。残念ながら疲れて寝てしまったので、島は車で通っただけでゆっくりと見る時間はありませんでした。
翌朝飛行場へ向かう私たちを、学校担当のルイーザが見送ってくれました。彼女は時速130キロで走るトラックの荷台に座り、2時間も耐えてくれたのです。子供たちと同様、心のこもった歓迎ぶりに、感動しました。
早く、皆さんとまた会いたいと思います!