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極度の貧困は根絶できるはずだ
私たちの孫の時代ではなく、
私たちの世代のうちに
極度の貧困は根絶できるはずだ  私たちの孫の時代ではなく、私たちの世代のうちに

第6回研究会報告

7月に開催された第6回研究会の報告を掲載いたします。
DSC03428.JPG【テーマ】アフリカの紛争と平和に向けた取り組み
     ~「ブラッド・ダヤモンド」の国(シエラレオネ)の事例を中心に~
【講師】澤 良世 氏(元ユニセフ広報官
【日時】2009年7月16日(木)18:30-20:00
【場所】日本財団ビル2階 第1会議室
【概要】
 1. アフリカの紛争と現状
 2. シエラレオネについて
 3. 写真で見るシエラレオネの人々
報告書の内容は「続き」をお読みください。

1.アフリカの紛争と現状
■ 紛争の流れ
カナダの大学が出版している「人間の安全保障報告書2005」において、第二次世界大戦後の紛争の流れが紹介されている。独立のための戦争は、1975年(モザンビークやアンゴラが独立した年)頃に、ほとんど終わっている。国と国との戦争については、現在はほとんどない状態である。そして内戦、国内での武力紛争については、これが紛争の大部分を占めており、1990年頃がピークとなっている。これは冷戦が終わった時期である。なぜその時期に内戦が多かったのかというのはそれだけでも随分議論ができるテーマであるが、この1990年前後の内戦というのはかなりの数がアフリカで戦われた戦争であったということを最初に申し上げたい。
■ 戦争による民間人の犠牲
よく言われることだが、戦争や内戦による民間人の犠牲の割合は、かなり変わってきている。20世紀までは、民間人の犠牲は約半分であったが、その後、第二次世界大戦で3分の2、ベトナム戦争では80%となり、今では、戦争で死ぬのは兵士ではなく、ほとんどが一般人という状況である。
■ 重債務貧困国(HIPC)
アフリカという言葉から色々なことを連想されると思う。昨年は、第4回アフリカ開発会議が開かれ、その関係で様々なアフリカに関するイベントが東京や横浜で行われた。それに参加されて、アフリカに興味をもたれたという方もいらっしゃるのではないか。また、最近はアフリカをテーマにした映画が比較的多く公開されており、映画の好きな方なら沢山見ているのではないかと思う。少し古いところでは、ケニアを舞台とした「ナイロビの蜂」、ルワンダをテーマにした「ホテル・ルワンダ」、「ルワンダの涙」等の映画があった。また、ウガンダをテーマにした「ラストキング・オブ・スコットランド」、ディカプリオの「ブラッド・ダイヤモンド」等色々な映画があるが、これらの映画に共通している特徴は、紛争や暴力が中心テーマとなっていることである。また、マスコミでもアフリカの報道が随分なされているが、その中で取り上げられるテーマというのは、やはり貧困ではないか。
外務省の資料によれば、重債務貧困国(HIPC、非常に貧しくて重い債務を抱えている国)は世界で42カ国あり、そのうち32カ国がアフリカに集中している。アフリカには全部で53カ国あるが、北と南の地域を除くほとんど全ての国(石油が採れる赤道ギニアやナイジェリアを除いた程度)がそれに該当するという状況である。よって、マスコミ等で、アフリカといえば貧困というイメージが中心に報道されるというのも、ある程度は正しいのだと思う。
■ 国の豊かさを測る
国連等では、国の豊かさを測るためにもちろんGNPやGNI等で測ることもするが、以下に挙げる社会指標が、本当の意味での国の豊かさを表しているのではないかという風に考えている。よって、必ずしも(社会的な豊かさと)と経済的な豊かさが一致するというわけではない。
・5歳未満児死亡率(出生1000人のうち何人の子どもが5歳になるまでに亡くなるか)
・妊産婦死亡率(出生10万人当たりで妊産婦が出産や妊娠による原因で亡くなる数)
・平均余命(何歳まで生きられるか)
・成人識字率(成人(15歳~49歳位)の人の識字率)
・初等教育就学率(小学校に行けるかどうか)
以上のようなことが、一人当たりの所得以上に重要だと考えられている。
■ 不公平な貿易システム
なぜ貧しい国がこれほど多くあるのかということを考えると、色々な原因が挙げられるが、ここでひとつだけ紹介するとすれば、それはやはり不公平な貿易システムだと言っても良いのではないか。
「おいしいコーヒーの真実」という映画の宣伝用サイトには、エチオピア等で採れたコーヒーのうち、どれだけの利益が現地の人の手元に残るのかということを表した図がある。この図によれば、330円のコーヒーの場合、3円から9円が現地の人たちに行くという計算になる。この映画においてコーヒー生産者組合の代表者が言っていることで、私が本当にショックを受けたのは、アフリカの輸出シェアが1%増えれば年間700億ドルを創出することになるが、この金額はアフリカ全体が現在受け取っている援助額の5倍に相当するということである。アフリカが輸出しているものはコーヒーだけではなく、たとえば私たちがよく使う携帯やパソコンに使われているタンタルという希少金属や、あるいは「ブラッド・ダイヤモンド」でテーマになったダイヤモンド、その他多くの天然資源がある。これらを、アフリカの人々が一生懸命働いて輸出して、それによって私たちの生活が成り立っているということに、注目するべきだと思う。
■ 世界の中のアフリカ
アフリカは世界の中でどのような状況にあるのか。アフリカの総人口は世界の約10~11%であるが、重債務貧困国の数でみると全体で42カ国のうち32カ国を占める。これは重債務貧困国の全体の78%程がアフリカに集中しているということである。読み書きのできない人(15歳以上)については、約17%がアフリカの人である。初等教育を受けられない子どもの約70%がアフリカにいる。それから、かなりショッキングなのは、HIVに感染している人の67%がアフリカにいることや、HIVに感染している子どもの場合だと90%がアフリカに住んでいるということである。このような格差があるということを知っていただきたい。
2.シエラレオネについて
■ シエラレオネはどんな国?
国の大きさは北海道の8割位であり、人口は北海道とほぼ同じである。他のアフリカの国と同じように、若い人たちが多い国である。1991年から2001年までは武力紛争が続いていた。電話普及率は非常に低く、国の中で固定電話はほとんど使われていない。電話番号が書いてあったとしても、それにかけても誰も出てこないという状況である。しかし最近は携帯電話が非常に普及しているため、プリペイドカード式の電話を皆が持っている。しかし、シエラレオネ式の電話のかけ方というのは、着信をしてすぐ切り相手にかけさせる等、なるべく自分でお金を払わないようにするやり方である。若い人口が多く、2007年の大統領選挙では、初めて投票する人が23%だった。
■ シエラレオネの人びとの暮らし
シエラレオネは、世界で最も貧しい国と言われている。世界で最も命の短い国という言い方をする人もいる。国民の約半分が平均1日1.25米ドル以下の、絶対的貧困生活をしている。5歳未満で亡くなる人は(出生1000人当たり)262人、これは世界で1番目であり、妊産婦の死亡率は(出生10万人当たり)2100人、これも世界で1番目である。平均余命は42年で、世界で2番目に短く、成人識字率は38%である。
上記の他にも、配布資料(統計からみるアフリカの子どもと女性)に、各項目についての日本、ルワンダ、シエラレオネ、アフリカ全体の平均値を挙げておいたので、ご覧いただければシエラレオネがかなり大変な国だということがわかっていただけると思う。
■ シエラレオネに暮らす17歳の女性の状況
シエラレオネで暮らす人々は、貧困、紛争、性的搾取、人権侵害、感染症、差別、環境破壊、破綻国家等、様々な大変な状況に囲まれている。
ファティマタさんという17歳の女性は、11歳の時に学校へ行く途中に、反政府勢力の人たちに誘拐されて、5年間、司令官のブッシュワイフとして暮らしていた。ブッシュワイフというのは森の中を転々として戦っている兵士の妻であり、兵士の身の回りの世話をするだけでなく性的な要求にもこたえる。戦闘にも参加する。赤ちゃんをおんぶして、銃を持って、というような暮らしをしていたブッシュ・ワイフもいたという。彼女は戦争が終わってようやく解放されたが、親元に帰って学校に行き始めると、以前の夫だったという人がやってきて、性的な関係を強要されて妊娠したということだった。
しかし、彼女は元兵士だった女性の中では比較的幸運な方であったと皆が言っていた。なぜかというと、戦争中に反政府兵士の子どもを身ごもり、戦争が終わって子どもを連れて自分の村に帰ってきた若い女性も少なくなく、多くの親は、反政府ゲリラの子を持つ自分の娘を嫌い家に入れなかったという。だが、彼女の両親は、彼女を温かく迎えてくれたのである。また、村の人もそのような女性をいじめることが多かったようだ。こうした女性(ガールズマザー)の多くが、差別に苦しみながら非常に貧しい暮らしをしているというのが紛争国の現状である。
■ 紛争終結から平和構築へ
紛争があった国で、紛争が終わり平和に移るということはどういうことかを考えてみる。まず、戦っている敵と味方が合意をして戦争が終わるか、あるいは一方が勝って他方が負けて戦争が終わる。シエラレオネの場合は何度も和平合意が成立しているが、その後も紛争は続き、正式に戦争が終わったのが2001年であった。
その次は、武装解除(Disarmament)を行う。皆が武器を持っているわけだからその武器を取り上げる。
その後に兵士であるという立場からの解除(動員解除、Demobilization)がある。
最後は、皆が自分たちの村に帰り、その村でもう一度生活を立て直し、社会復帰をする。(Reintegration)
この3つのプロセスをよくDDR(Disarmament, Demobilization, Reintegration)という言葉で表している。これが終わらないと治安が確保できないため、最優先とされる。
シエラレオネの場合は約75000人が武装解除され、60000人以上の人が動員解除に参加した。動員解除の時には、社会復帰のための職業訓練等もやっており、村に帰ってから生活ができるように少しお金が支給された。
このDDRのプロセスというのはほとんどの場合、国連が中心に行う。それと同時並行的に、憎しみ合って殺しあった人たちがまた一つの国民として暮らしていかなければならないため、誰が何をしたのか、なぜ戦争が起こったのかということを解明するために、真実和解委員会というものが開かれる。それから、重大な犯罪を犯した人たちは、特別法廷あるいは国際刑事裁判所
で裁きを受ける。そして、最後に民主的な選挙ができれば、それから平和が始まるという考え方が一般的である。
シエラレオネの場合は2004年に真実和解委員会が8000人位の人たちから聞き取り調査を行い、1500ページ程の報告書を出している。そして、国際法廷もほとんど終わっているので、今は戦後と言ってもよいのだと思う。
■ 大統領候補のディベートの争点
シエラレオネにおける紛争後の最初の民主的な選挙というのは、2002年に行われた。それは国連が全てを管理した選挙であった。2回目の選挙は2007年に行われた。このときは「チェンジ」をスローガンにした野党が勝利した。戦争が終わった後での平和的な政権の交代というのは非常に珍しいと、欧米の新聞等は高く評価していたが、日本でこの選挙のことはほとんど報道されなかった。ある新聞で私は1行見ただけである。
しかし、実際に現地で選挙を見ていると、去年のアメリカの大統領選挙のような熱気があった。その時の選挙の前に、大統領候補者たちがディベートをした。その中で争点になっていたのは、若い人たちの失業問題やインフラ整備ができていないということ、教育の機会が不平等であること等である。このような争点が、シエラレオネの問題を浮き彫りにしていると思う。
3.写真で見るシエラレオネの人々
ここからは、実際に人々がどんな顔をしてどんな暮らしをしているかということを、写真を参照しながらご紹介したい。
・首都フリータウン
シエラレオネは、元は奴隷であった人たちが解放されて入植してできた国である。首都フリータウンの「フリー」には自由の国という意味が込められている。私は2003年からほぼ毎年このフリータウンに行っているが、状況はほとんど変わっておらず、少しずつ良くなっているのではないかという感触である。
・給水所
水道のある家はほとんどない。子どもたちが朝晩水を汲みに給水所にやってきて、水を家に持っていく。
・商店街の靴屋・ジーンズ屋(露天商)VGIlC.jpg
一番大きな商店街の靴屋でも、売られているのはほとんどが中古品である。私たちが靴を買うために靴屋さんに行ったり、洋服がほしいから洋服屋さんに行くのとは違い、シエラレオネの人はこうした露天商のようなところで買っているようだ。この写真では、たまたまベンツの上に靴を並べて売っているのだが、シエラレオネではタクシーはほとんど日産のサニーである。少しお金持ちの人が持っている乗用車がベンツで、お金持ちの人が持っている自動車はトヨタやホンダが多い。
同じ町のジーンズ屋でも、売っているものは中古品である。若者の失業が多いので、こうした露天商のようなことをしながらなんとか生活を支えているという。これと同じような人たちが、戦争になると、戦争に行った方が少しでも生活が楽だろうと思って、敵と味方に分かれて戦っていたのである。職のない人たちにとっては、典型的な簡単な職業がこのような商売である。
・戦争犠牲者のためのキャンプ
首都から、ポダポダ(18人乗り位の、トヨタハイエースのような乗合自動車。値段は30円程。)に乗ってちょうど1時間ほどいった郊外に、戦争犠牲者のためのキャンプがある。このキャンプは三つの区画に分かれており、一つには手足をなくした人、戦争中に手や足を切断するという戦術が使われたが、いわゆるamputeesといわれる人たちが住んでいる。それから、戦争で怪我をした人、手や足をなくさなかったが、銃弾が体の中に入っていたりする人等をwar-woundedといっていたが、そのような人たちが住む区画。そして、帰るところのないdisplacedと言われる人々の住む一角がある。
訪れた時はちょうど雨季で、雨漏りがひどく、家の中に入ると天井にバケツを吊るして雨漏りを防ぐような生活をしていた。そこで会った若い母親は、電気も水もない中で食事の支度をしていた。
シエラレオネの戦争に関心をお持ちの方なら、戦争中に手足を切断したという話をよく聞かれたと思う。写真の両腕を失った男性は、元は農業をしていたが、ある日突然、家に兵士が鉈を持って来て、長袖か半袖かと聞かれ、腕を切断されてしまった。2003年に会った時には、両手がなければご飯をたべることも自分でできないし、働くこともできず、非常に自暴自棄になっている感じがした。その後、家族と再会できたこともあってか、2007年に彼と再会した時には、いくぶん良くなってきているようだった。なお、彼の住む家はノルウェーのNGO、ノルウェー・レフュジー・カウンシル(Norwegian Refugee Council)が作っている家で、このNGOは400軒くらいの家を作ったといわれていた。
元は洋服の仕立て屋をしていたという男性は片手を失っており、2003年に会った際には、手がないから自分は仕事もできないし生きる望みもないと嘆いている状況だった。しかし、2007年に再会した時には、ミシンを買って洋服屋をしていた。子どもも増えており、以前は小さい赤ちゃんだった子が走り回るようになっている。彼に、自分の住んでいた村に戻りたいかと聞くと、ここで自分は生活を確保したので、ここでやっていきたいと話し、希望をもって生きている感じだった。
1999年に首都がゲリラに襲われたときに両足を失ったという女性は、アメリカで治療をしてもらおうとしていたが、シエラレオネにいなければこの家の抽選に参加できないということで仕方なく、足をあきらめて家をとったのだといって笑っていた。家族と一緒に暮らしている。
・インフラ整備
首都のフリータウンから、地方の第二の都市へは、整備が整っていない道が何時間も続いている。そのような道をバスが走っているのだが、3時間程の道のりをバスの上の荷物台に乗ったり、バスの後ろにつかまって無賃乗車をする人が珍しくない。運転手もそれに対して怒ったりはしていないようだった。
・子どもたちの様子VGIl.jpg
子どもたちが道路の凹凸を埋める作業をしている。戦争中に、兵士がバリケード封鎖をして通行人からお金を取っていた。そのことを子どもたちは覚えており、作業の傍ら、自分たちも綱で封鎖をして、そこを通る車から、日本円でいえば5円程度のお金をもらっている。これも戦争の影響であり、戦争の記憶の一つだと思う。
・インカムジェネレーション
ボーという第二の都市では、女性が集まって組合のようなものを作り、インカムジェネレーションを行っている。彼女たちは、週に3日ほど畑で働き(写真はピーナッツの収穫の様子)、後の2日位は市場にそれを持って行き、売って生活の足しにしている。マイクロクレジットのようなこともここで行っていた。
・マーケットの様子
マーケットでは、商品の作物はたいてい小さく分けて売っている。ここでは米は一袋1キロ単位で買うのではなく、普通の人は、コップ一杯の単位で買っている。私の想像では、1日の食費は30円よりは安いのではないか。
・内戦の傷跡
いたるところに内戦の傷跡が残っており、もともと保健所だったところも、戦争によって破壊されている。11年も戦争が続いていたのでいたるところに傷跡が残されている。
・診療所の様子VGIlfIlq.jpg
戦争が終わって何年かすると仮設の診療所ができて、そこに人が通ってくる。写真の女性は三つ子の母で、子どもの具合が悪そうだから心配してここに来たらマラリアだった、そして栄養失調でもあるというふうに言われたので、どうしたらよいかと話していた。この診療所では、体重を量って子どもの栄養状態をチェックしており、どのように離乳食を作ったらよいかということを教えていた。
こうした診療所というのは、歩いて何時間もかかるようなところにしかないので、地域のリーダーのような女性が、簡単な治療の方法を教えてもらって、治療を行っている。上述のインカムジェネレーションの組合のリーダーの女性も、ご主人が保健師であり、簡単な治療を行っていた。子どもがマラリアになったと医者に行ったら注射をされたという。マラリアで注射をするということ自体がおかしいが、そこが化膿してしまったために傷口を洗っていた。
その近くには正式の病院、村の診療所がある。そこにいる医者が、マラリアだからと子どもに注射をして化膿させてしまった人で、実際にはあまり知識もなく薬もない。診療所では、水は蓋をして保存しておかなければならないことや、子どもには離乳食を食べさせなければならないことや、望まない妊娠をしないようにしなければならないということを、ポスターで示している。
シエラレオネでは妊娠や出産で亡くなる人が多い。妊娠したからといって検診がうけられるわけではなく、専門的な助産婦さんがいるわけでもない。そこで、2週間ほど村の女性たちに衛生の知識などを教えて、それからお産婆さんのセットを与えて(へその緒を切るカミソリなど)、なるべく安全な出産ができるように、新しく分娩室が作られた。しかし、電気がないと夜にお産があった場合使用できない等、色々な問題がある。
・啓発のための看板VGIl[?.jpg
「Say no to peh-peh dokta go na Ospitu」と書かれた看板がある。アフリカの多くの国では医者が不足している。能力のある人は皆海外に出稼ぎに行って、頭脳流出が進んでしまっているのである。お医者さんをしている人の中には偽の医者が沢山いて、そういうところに行くのは危険だから、ちゃんと病院にいかなければならないということを教えている看板である。
また、まじない師等のいいかげんな人のところではなく、具合が悪かったら病院に行きましょうということを教えている看板もある。とにかくこういう看板がいっぱいある。日本財団の支援する、寄生虫をなくすための事業のポスターにもあった。
シエラレオネの場合それほどHIV感染率は高くないが、予防や啓発活動に力を入れており、古い建物の壁に描いてある看板では、自分たちで感染を予防しようということを訴えている。牧師、イスラム教のイマーム、サッカー選手、警官等の誰であっても感染していない証拠はないのだから、このセックスは安全だ等と考えないようにしましょうということを訴えた看板もある。
これらの看板において、絵を使った簡単な情報伝達をしているのは、やはり読み書きのできる人が少ないからだと思う。
・学校の様子
読み書きができないのはなぜかというと、学校教育は無料であったとしても教科書代や色々なお金がかかるし、先生の給料が安いこともあって賄賂をとる等しているため、学校に行かない人が多いのである。シエラレオネの名門中の名門の学校であっても、窓にほとんどガラスが入っていないような状態であった。
・雨水を貯めるタンク
水道がないので、雨水をタンクにためて水道の代わりにしている。どこへ行ってもこの黒い大きなタンクを見かけた。
・ダイヤモンドの採掘場VGIl_Ch@.jpg
シエラレオネの東部にあるダイヤモンドを採っているところ。南アのように深く掘っていくのではなく、水の中に、砂金のような形で出てくるのを1日中ザルで濾しながら見つける。これは最もみじめな仕事の一つであり、内戦のときはこういう場所から兵士がどんどんリクルートされていった。ユニセフは、子どもに学校に行けというのだが、まず食べることが先決だからといって、なかなか子どもを学校に行かせることも難しいということだった。
採掘場のすぐ近くに、ダイヤモンドのディーラーのオフィスがある。オフィスはとてもきれいで、ダイヤモンドのディーラーやレストラン等の商売をしている人はほとんどがレバノン人である。
・職業訓練の様子
元兵士への職業訓練として、男の子で最も一般的な、カーペットリーという家具職人の技術を教えるところがあった。しかし問題なのは、3カ月位研修を受けたからといって、失業率が非常に高いシエラレオネでは、家具職人としてやっていくことができないのである。子どもたちはこの3カ月程の訓練が終わり道具セットをもらって自分の村に帰るわけだが、結局習った職業に就くことはできないから道具セットを売って商人になることが多い。
女の子はだいたい染物の訓練が一般的である。ろうけつ染めのようなものの訓練を受けていた女性は、村に帰ってきても身寄りがなかったので職業訓練に来てみたところ、自分と同じような境遇の人が沢山いたので、なんとか生きる希望ができたと言っていた。
・片足サッカーのチームVGIlБTbJ[.jpg
戦争中に手や足をなくした人が非常に沢山いて、その人たちが自分たちで集まって始めた片足サッカーのチームがある。西アフリカにはこのようなチームが沢山あるらしい。日本に呼んできてあげられたらよいと思う。最初足をなくしたときには、もうこれでだめだと思ったが、サッカーをやることになって、まだ何かできるのだと思ったと皆が言っていた。色々なところに遠征試合をしに行っており、海外にも遠征しているようだった。
・バイクタクシーVGIloCN^NV[.jpg
戦争が終わり、交通手段が何もなく、若い人に職がないときに、若い人が4人位集まって何をしたらいいだろうと考えて始まったのがバイクタクシーである。この町では今は約1,000人がバイクタクシーライダーをしており、これしか交通手段がないと言ってもよいくらいである。この活動を始めた時には約80%が元兵士で、敵と味方、政府軍と反政府軍の色々な人が入り混じっているわけだが、特にそれを差別しているわけではない。私が最初これを見に行ったときには、レイプしたり手を切ったりしていた兵士だった人たちが運転するバイクの後ろに乗って夜自分の家に帰ることを考えると不安を感じた。しかし、現地で見ていると全くそんな感じではなく、皆けっこう仲良くやっている。その理由の一つは、バイクというのは身体的にも距離が近いからではないかと思う。このバイクタクシーは、かなり成功している若い人たちのイニシアティブだと思う。これに派生して他の仕事が出てきたり、他の町にも広がっていたりする。隣のリベリアでもこの仕事が始まっており、若い人たちは援助されるだけではなくて、自分たちで考えてこんなに面白い仕事を始めているのである。
・選挙の様子
2007年の選挙では、障害者のための選挙教育を行っていた。たとえば、目の見えない人のための投票用紙の使い方等を教えていていた。投票所でも、目の見えない人や障害のある人は一番はじめに、待たずに選挙ができるようにしているということだった。
看板には、「お金をくれる人よりも同じ考えの人に投票するのですよ」ということが書いてある。
大きな政党が三つあり、それぞれ政党のカラーやシンボルマークがある。選挙のキャンペーンを同時に行って暴動になるといけないので、今日はどこの政党という風に決めているようだった。若い人たちは支持する政党のシンボルカラーの洋服を着ている。
前の与党であったSLPPという政党の大統領候補の顔写真がついた生地等が町に沢山売っているらしく、その生地でアロハシャツのようなものを作って着ている人がいた。また、その大統領候補の奥さんの出身校がTシャツを作って売っている。国中をあげて選挙をしている様子であった。
シエラレオネは有権者登録をしないと選挙ができないが、18歳以上の人なら有権者登録ができる。選挙の日は7時から5時位まで投票できるが、皆、朝の3時位から行って、何時間も文句も言わずに並んでいた。二十歳前後の初めて投票をする人たちに、ちょうど8月の雨季だったから大変ですねという話をしていると、「子どもたちの将来を決めるのだから待つのなんてたいしたことはない」と言う。日本の若い人はそのように言うだろうかと考えさせられた。
投票のやり方については、マニュアルがあって、それにあわせて少しの間違いもないようにしている。投票箱の管理の仕方も非常に徹底していた。
多くのNGOが女性の候補者が立候補できるように支援をしていた。それに対して反対意見を持つ人もおり、女性だけ特別にしてはいけないということを言ったりもしていたが、女性にどうやったら立候補できるかというような教育をしていた。
・ヘアスタイル
特徴的なヘアスタイルの人がいて、皆で髪を結いあったりしているようだった。結局、平和でないとこういうこともできない。アフリカの人たちもすごくおしゃれである。人と違うおしゃれをしたいという考えがあるようだった。
・国際社会がするべきことVGIl?.jpg
私が多くの紛争を経験した国に行って思うのは、国際社会は、そういう国の人たちが「Yes, we can.」といえるようなお手伝いをすること、そしてその結果として「Yes, we did.」と言えるような状況を作ることが重要である。そのためには、若い人たちが誇りを持って生きることができる環境を作るために、何ができるかを考えてみることが私たちに必要である。
シエラレオネの大学の先生となぜ戦争が起こったのかという話をしていたときに、日本で戦争が起こらない理由はなぜだと思うかと言われた。その先生がおっしゃったのは、人間は失うものが何もなければ戦争だって何だってする、それは日本人だって同じだろうと言った。失うものがない生活とはどんなものだろうと考えると、平和のため、世の中をよくするための答えというのが出てくるのではないかと私は思っている。
【質疑応答】
Q1:皆が選挙に参加し、非常に投票に熱心だというお話があったが、政府の汚職等はどのような状況か。
A1:汚職対策委員会があってそこが報告書を出しているが、それを見ただけでも大変汚職が多い。
現地の人たちがそれについてどう思っているかというと、給料が安いから仕方がないというのが一つ。また、汚職ができるのは政府の職に就くことができた人たちだけだと言う人もいる。政府の職というのは、大統領の政党の支援をした人という意味でもあるから、汚職というのは非常に大きな問題だと思う。たとえばルワンダなどは汚職が非常に少ない国だと言われており、それはある程度独裁的だからではないかと思う。
選挙に関しても汚職というのは沢山あるようだった。当時の政権与党の副大統領が候補になっており、その家の前にはいつも長い行列があるのだが、そこでお金を配っていると皆言っていた。おそらく実際に配っていたのだと思う。
当時の政権与党はグリーンがシンボルカラーで、新しい与党は赤がシンボルカラーである。現地の人たちは、私たちは、外はグリーンでも中は赤いので、スイカだと冗談で言っていた。また、前の与党の候補者のところに行ってうやうやしく頭を下げて私はあなたのためになんでもやりますと言ってお辞儀をした途端に、他の政党の党員証がばらっと落ちたとか、そのような話はいっぱいある。ボーというのは、政権与党だった政党の本拠があるところだが、ホテルに行くとマネージャーがその政党のTシャツを着ていた。あなたもSLPPの支援者ですかと尋ねたところ、「No, I am a businessman.」と言った。以上の話からも、おそらく国民は冷めているのだろうと思う。皆、生活に困っているから、Tシャツ1枚でも、お金を100円でもくれる人のところには行って頭を下げるが、それと投票とは違うのだと考えているような印象があった。結局、お金をあげていたという政権与党の副大統領はその地域では票を集めることはできなかった。しかし、だからといって汚職がなくなるということではないだろう。
Q2:紛争後にも関わらずシエラレオネにおいてスムーズに政権交代が行われた要因は何か。
A2:シエラレオネというのは外国からの援助に依存しているところが非常に多いので、国際社会からまともな国だと認められることが重要だと思っている印象を私は受けた。その一つの手段というのは、やはり選挙をすることである。アフリカの国の多くは自分たちの政府には、正当性のようなものがあまりない。唯一の正当性というのは、外国の人たちが与えてくれるような感じがする。国際監視団のような人がいっぱい来ている中で、自分たちにもできるのだというところを示したかったというのが一つだと思う。ディベートの時等に、国際社会はこんなに私たちのために援助をしてくれたのに、前の政権はそのお金をどこへやったのだという話は沢山でてくる。
シエラレオネでは、比較的マスコミが自由にしているというか、マスコミをコントロールするほどの能力が政府にないからかもしれない。また、ラジオがかなり普及していて、皆が情報を共有している。3人の人に質問をすると3人からきちんと答えが返ってくるような状態で、それは日本よりもすごいように思った。
政権交代がスムーズに行われたということは歴史的にも珍しいことだと言われているが、今の党の人が選挙で当選したら、やはりその人は自分たちの取り巻きや自分の出身地域、その政党が中心的に支援された地域の人たちを雇ったりすることになる。よって、人々が反対政党に焼き討ちに行ったり、攻撃をかけたりしたこともあり、問題がないわけではない。だが、その問題が起こったときに、それを助長するのではなくて、二つの政党の人たちが集まって一緒に一つの催し物に参加するとか、共同声明を出す等、前向きに解決している。これは、戦争を通して学習したのではないかと思っている。
Q3:携帯やiPodなどに使われている貴金属を外国が買うことで、その地域を治める軍閥を結局はサポートしていることになる可能性があるがどうお考えか。
A3:その可能性は否定できない。シエラレオネの場合はダイヤモンドや鉄鉱石という資源もある。しかし、それを採掘したり売ったりするには、ある程度の資本がないとできない。よって、本当に儲けている人は外国、たとえばアメリカやイギリスや南アフリカの企業ではないかと思う。コンゴ民主共和国の東の方に行くと、小型飛行機がいっぱい停まっていて、そこには白人の人たちがいる。このように、利益の大部分は国外に行っているのではないかと思う。シエラレオネはブラッド・ダイヤモンドで儲けているはずだが、戦争が終わってお金持ちになった人はほとんどいなかったのではないか。
Q4:シエラレオネは資源国であって、しかもフリータウンは首都であるのに、なぜあまり変化がないのか。スーダンやその他の石油等が採れる資源国は、現在は物価が非常に高く、首都だけがとても栄えているという状況が多いと思うが、なぜシエラレオネはそうならないのか。
A4:シエラレオネが他の国と違う理由の一つは、戦争が直近にあったか否かであると思う。たとえばガーナやタンザニアに行ってみると、戦争がなかったというのはこういうことなのかという感じがする。また、北部スーダンの場合は、外国資本が入っているからではないか。シエラレオネのようにインフラも整備されていなくて、国がいつおかしくなるかもしれないところは外国からの投資が入って来ないし、外国からの投資が入って来なければ、おそらく復興するのは難しいのではないか。たとえば外国の人が来て泊まるようなホテルというのは、2003年から今までに一つも増えていないので、そういう意味ではまだ安定していないのだと思う。
Q5:①シエラレオネにおいて、母子保健の分野での政策というものは何か取り組みが始まっているのか。妊産婦死亡率や乳児死亡率削減のために何か政策はあるのだろうか。
②ユニセフ協会の方ではかなりキャンペーンや寄付集めをされているのを拝見しているが、駐日事務所の広報官のお仕事というのは、それとどういった違いがあるのか。
③昨今の経済状況から、ODAを増やしてまでなぜそこまでして開発しなければならないのかという世論の声がある。その中で、一般市民の心を動かすためにどういった広報が今必要だと思われているか。
A5:①シエラレオネにおいて、保健省が力を入れて母子保健の改善をやっていることはほとんどないと思う。力を入れて何かをやったということがほとんどないような政府だったと私は思う。これまでの政権は、国連や国際社会が一生懸命助けてくれた結果、なんとかやっていっているようなものであった。政府で働いている人たちもそれほど有能というわけでもない。ただ一つ言えることは、たとえば国連ではミレニアム開発目標を決めているわけだが、2015年までに達成しなければならないことの一つに、妊産婦死亡率の低下というのがある。それに関してはモニタリングがされているため、プレッシャーがかかってくるのではないだろうか。もう一つは、統計の数字についての疑問で、本当にシエラレオネの妊産婦死亡率が2100なのかというのは怪しいと思う。実際には色々なところで子どもが死んだという話は聞かないし、毎年同じ数字を出しているのではないかと思えるところもあるので、途上国の統計というのは、あまりあてにならない部分もあると思う。
②ユニセフでは民間からの募金というのはユニセフ協会が担当することになっている。東京事務所はポリシーの点で活動を行い、政府に対するロビー活動は行っているが、募金活動は行っていない。募金を集めるためには、世の中にはこんなにかわいそうな子どもがいて、100円で命が助かるのだというような主張も必要である。だが、実際に100円のワクチンをアフリカの子どもたちに接種するためには、輸送や人材、衛生環境等様々な問題がある。よって、それよりももっと開発の問題を理解してくださる人が増えた方がいいのではないか。よって、私たちはもっと開発に関する情報を流したいと思っている。そのためにたとえばジャーナリストの方がアフリカへ行かれるのであったら、なるべくユニセフの現地が協力して色々なところを見ていただけるようなお手伝いをしている。
③ODAを増やすべきか否かというのはわからない。運用のシステムや優先順位等を考えないと、援助のお金さえ増えればすべてが解決するとは私は思わない。だが、日本にできることというのはいっぱいあると思う。また、日本国内にも援助を必要としている人がいるのだから、もっとグローバルに考える視点が必要だと思っている。
Q6:フェアトレードに関してお話があったが、地産地消(その土地で産出したものをその土地で消費すること。日本の中でも安全性の面から地産地消を推進する活動やNGOが多い。)の考え方と、外国からの輸入を増加しようとする考え方は対立するものなのか。
A6:輸入をする際に、なるべく現地の人たちも潤うように考える必要がある。たとえば、バナナのプランテーションのようなところで農薬をいっぱいかけさせないようにする等、ある種の人権に配慮したトレードを心がけるというのは必要ではないか。外国から何も買わなければよいというようなことは今の世の中ではありえないだろうし、実際に日本には天然資源等がほとんどないわけだから、車や電気をすべてやめて何も買わないのがよいとは思わない。それは程度問題ではないかと思う。
Q7:マスコミについては、かなり言論の自由が守られており、ラジオが発展しているというお話だった。BBCラジオの国際放送等があると思うが、国営のものはどのくらいあるのか。また、EUの支援が入っていたようだが、NGOや他の国際機関などのメディア支援は行われているのか。それが行われているなら、どのようなことが行われているのか。
A7:マスコミが自由であるというと非常にポジティブに聞こえるが、実際には放ったらかしに近い状態である。たとえば、政党がラジオ局を持つことが許されているし新聞を出すことも許されているし、それには誹謗中傷はいっぱい書いてある。
私は、戦争というものがあって、かなり色々な面で改善された部分があると思っている。その一つがラジオである。たとえば国連ラジオは非常に大きな役割を果たしている。皆、かなり国連ラジオやBBC等を聞いている。また、ルワンダの虐殺のときにできたスイスのNGOは、内戦の国で色々なラジオ局を作っている。シエラレオネではCotton Tree News、リベリアではSTAR radioで、これは自分たちが作った番組を流すのではなくて、ジャーナリストを育てて職業として成り立たせていくようにしたり、通信社のような役割を果たしている。ただ、給料が安いために、大学でジャーナリズムを専攻してもなかなか仕事にはならないようである。もう一つ、アメリカの非常に有名なSearch for Common GroundというNGOがあり、民主主義を広めるための活動というのをやっている。ここでは、たとえば戦争の問題や、元少年兵の人たちへの差別をなくすためにはどうしたらよいかというような討論番組を作ったり、ラジオドラマの制作をしている。たとえば、バイクタクシーは最初の頃、警察との摩擦が非常に多かった。警察は元兵士だった人々のことを信用できず、ライダーの人たちは訓練を受けていないためにいい加減な運転をしていたためである。このときにSearch for Common GroundはTalking Drums活動の担当者を派遣して色々話を聞き、それをラジオドラマにして毎回流した。この番組が人気で、それが終わって5年くらい経った今でも皆その話をしていた。ラジオやマスコミの分野にも、駄目だったらこうしようというようなポジティブな面が出てきているように感じる。
以上のように、メディア支援としては、ラジオ局にお金をあげるようなことはしていなくても、ジャーナリストを養成したり、ニュースを無料で提供したり、パッケージのプログラムを各社に配る等の支援をしている。パッケージで支援を行うのは洗脳だと思う人もいるし、そうしなければ民主主義というのは育たないと思う人もいるため、どちらの手法をとるかというのは、それぞれのNGOの方針に従っている。
Q8:マイクロクレジットについて詳しく教えていただきたい。シエラレオネの中でのMFI(マイクロファイナンス機関)の数や、MFIがある場合はどのような地域で広まっているのか。たとえばブラックやグラミン等の大きな銀行はMFIをどう支援しているのか。
A8:マイクロクレジットは沢山あるのだが、大手のグラミン等がやっているものではなく、せいぜい西アフリカのナイジェリア系のお金を出す組織等がやっているものがほとんどである。中心的な役割を果たしている機関として、たとえばMarket Women ‘s Associationというのがあげられる。だいたい市場では女の人が働いており、市場単位でマイクロクレジットを運用しているところが沢山あった。
ただ、シエラレオネの場合は、皆が貧しいと言っても貧富の差がある。比較的教育程度の高いところでは、セクレタリーの人がいて帳簿をしっかりとつけたりして上手くいっていたが、識字者が少ないところでは、お金を借りたとしても上手くいかない場合もあった。このことから、皮肉なことに、マイクロクレジットは格差を広げる原因となりかねないと思う。上手くいっているところが沢山ある反面、私たちはやりたくないと言う人も沢山いた。
Q9:平和が定着していく上での不安材料はどういったものがあるか。
A9:DDRの困難については、Rの部分がおざなりであることを皆が指摘している。DDに関しては物理的に銃を取り上げていく作業であるため、ある程度上手くいっている。これは、その後あまり武器を使った犯罪がないということから証明できる。ただし、職業訓練に関しては、国連がNGOに委託して行うのであるが、適切な訓練が行われなかった場合が少なくない。NGOの中には、ブリーフケースNGOと言われる、国連に申請書を書くだけのNGOも沢山あって、お金をもらって何も訓練をしないで終わってしまうこともあったようだ。本当ならシエラレオネに一番大切なのは農業、食糧生産であるが、食糧生産に関するNGOがいないために、それがDDRのパッケージに入っていなかったというような問題もある。
それから、Rという言葉には色々な意味があり、reintegrationやrehabilitation等、reの付くもの全部がこのDDRをやったらできるのではないかと思ってしまったことの問題は指摘されている。
私の想像では、シエラレオネで平和を維持している一番の力は、まだ皆が戦争のことを覚えていることだと思う。実際に元ゲリラとして戦った人や反政府勢力の偉かった人等に聞いてみても、本当にひどかった、自分の子どもにだけはあんなことはさせたくないと皆が言う。しかし、そういう気持ちがなくなって、それよりももっと武器で戦った方がよいと思うような状況、つまり、今よりももっと経済が悪くなって政府がもっと腐敗するようなことになれば、平和が続くとはいえないかもしれない。しかし、徐々には良くなってはいると思う。
Q10:国際公衆衛生に関して、NGOやNPOの国際開発協力の努力や資金の使われ方が非効率で、空振りしているのではないかと感じた。支援をしたとしても、習慣の違い等を理由に、現地の人には受け入れられ難いことなどが実際にあるようだが、それについてどのように改善していけばよいとお考えか。
A10:確かに非効率な部分も多いと思うが、だからやめたらいいというわけではない。たとえば予防接種などにユニセフは非常に力を入れている。もっと効率的にやる方法があるのかもしれないが、やはり子どもが元気で生きていくためには予防接種が必要だと私たちは知っていて、日本の子どもたちが受けられるのだったら、少々効率が悪くても、やはりここの国は効率が悪いからやめましょうということはできないと私は思う。
また、活動の中で国連が学習する場合もあるしそうでない場合もある。私が非常に感動した例として、インドネシアの津波のときにアチェで大きな被害があったときの話がある。そのような時にユニセフは最初に、きれいな水をタンクローリーで配っていく。その時誰かが気づいたのが、現地の人で、その水を沸かしている人がいた。後でわかったことは、そのインドネシアのアチェの地震の後というのはあれほどの災害であったのに、下痢等で死ぬ人が非常に少なかったという。なぜかというと、そこのコミュニティには水は沸かして飲むものだという習慣があった。ユニセフが行ってこの水はきれいだから沸かさなくてもいいのだと教えてあげても、一生水を配れるわけではない。そこで、その人たちの習慣というものを大切にして、人々が水を沸かして飲む習慣を持っていてそれが良い習慣だったら、この水は沸かさなくて良いというのを言うのをやめましょうとか、その地域については浄化装置は必要ないとか、そういう学習というのは小さいかもしれないが沢山積み重なっていると思う。
だが、それでも現地の人たちの考えを無視するようなこともあるかもしれないし、あるいは現地の人たちが良いと思っていても本当は良くないこともあるかもしれない。たとえば、パキスタンでは、へその緒を切った後にヤギの乳で作るバターのようなものを塗る習慣があり、そこから化膿してしまう。そういうものはもしかしたらやめた方がいいかもしれない。だから、必ずしも現地の人たちがやっているから大切にしないといけないのだというわけでもなく、国連や専門家といわれる人たちが改善するべきこともある。そのような中で、一つ大きく流れが変わったことがあるとすれば、たとえば、伝統的医療に対して国連等は非常に関心を持ってきている。欧米型の医療が絶対に良いという考え方は何十年かの間に非常に変わってきている部分もある。
Q11:シエラレオネについて統計的な数字を見たり、汚職の問題等を聞くと、大変悲惨な状況であることがわかる。しかし、写真を見ると人々の顔が明るい。シエラレオネの人々は、自分たちをどう見ているのか。
A11:悲惨か悲惨でないかといえば、悲惨でもあるし悲惨でもないと思う。病気になってもお医者さんもいなくて何も打つ術がないというのはやはり悲惨だと思うが、皆が明るく暮らしているということもやはり事実だと思う。人間がハッピーであるための条件というのは、必ずしも統計に表れてくるようなことだけではないのだと思う。写真の人たちは私が何年も続けて会っている人たちなので、特別私の前で笑ったわけではない。彼らをハッピーでないとは言わないし、ハッピーだとも言わないが、そういう風に考えずに、私は普通に日本で生活するように接している。
また、宗教の存在も人々の生活に関係していると思う。シエラレオネの人たちは信心深く、宗教の対立がない。妻がキリスト教で夫がイスラム教という人も沢山いるし、途中で変える人もいる。田舎の学校はキリスト教が多いため、イスラム教であっても学校に行くためにキリスト教の学校に行き、それから牧師になったという人にも何人も会った。また、私が驚いたのは、講演会でもサッカーの試合でも大統領のディベートでも、人々が集まると必ずお祈りから始まることである。それは必ずキリスト教のお祈りとイスラム教のお祈りが一緒で、どちらか一つということはない。戦争中も宗教が紛争の種になっていないという特殊な状況がある。もしかしたら、人々は宗教に少しは救われているのかもしれない。
Q12:ケニアで活動する岸田袈裟氏は、竈を作ったり草履をバナナの皮で編む等、現地の人たちが継続的にできる支援を行っている。グループワークをしていくということは、自尊感情や癒し等の効果があり、コミュニティの再生にもなるということである。しかし、多くの統計上の数字を見ていると、現状がいかに悲惨であるかを示す数字ばかりで、その国において伝統的に重要視されているものや、その国の歴史や宗教をどのように把握しているかというところが伝わってこないのは誠に残念だと思うがいかがか。
A12:シエラレオネの場合でも、紛争後の平和構築のプロセスとして行ったことは全て南アのまねであるという批判がある。南アでやったことと同じことを、シエラレオネでやり、リベリアでやっている、というわけである。だからシエラレオネの専門家の方は、「one size fits all」ではないということをよく言う。フリーサイズの開発援助というものはありえない。それぞれの戦争の原因も違えば、国民も違うし状況も全部違うのだから、それを考慮しないやり方というのはいけないということである。しかし、実際に紛争が起こってDDRをしなければならない状況で、この国に何が必要かということから始めるのは、それこそ泥縄である。よって、やっている途中でその国に適合するように修正していくしかないのではないか。
たとえば伝統的な染物についても、皆が学んでできるようになると、中国やインドから安い生地がどんどん入ってきて、そっくりなものが売られるようになり、需要がなくなってしまう。グローバルな中にいるとプラスの面もマイナスの面もあって、そのような状況をどうやって生きて行くかということだと思う。現地のNGOには、ガーナで作ったものは売れるがうちで作ったものは売れない。それは物が悪いからであり、物が悪いのはダメなのだということを教えないといけないとか、そういうことを言っている人もいる。
Q11の問いにあったように、悲惨でないひとつの理由としてあげるとすると、人間関係が豊かだという感じがする。助け合いは、それが悪くなれば汚職につながり、パトロン-クライアント関係といわれるように、大統領の出身地域の人しか雇われないというようなことが起きてくるわけだが、良いレベルでいると、自分の出身の地域や、田舎の人たちの人間関係というのはやはり豊かだと思う。そしてやはり親切である。江戸時代の終わりや明治時代の初めの日本のことを書いてある本を読んでいたら、人々の親切さが今のシエラレオネのようだと思った。発展すると失うものが非常に多いのかもしれない。
以上



ジョン・マッカーサー氏よりメッセージが届きました

親愛なるパートナーへ
今週、ミレニアム・プロミスの共同創設者であるジェフリー・サックス教授が、上院の外交委員会において、アメリカの対外援助の構造改革のために提案された法律について証言しました。
この審問は、アメリカの外交政策の成功のためには、国際開発と対外援助が不可欠であるという認識を示している点で、大きな意味がありました。
サックス教授は証言の冒頭で、アフリカ各地におけるミレニアム・ビレッジの成功と、過去3年間にプロジェクトで見られた大きな進展について言及しました。彼は特に、的を絞った対外援助が、健全な社会と経済を築きつつ、いかに劇的に安全をも向上しうるかについて強調しました。
この証言の中で、サックス教授は、持続的な農業、健康、教育、インフラ、気候変動、そして企業開発といった政策的な援助優先事項と、ミレニアム開発目標におけるアメリカの国際的なリーダーシップの必要性についても強調しました。
私たちのミレニアム開発目標達成に向けた政策への働きかけ、そしてミレニアム・ビレッジ・プロジェクトの双方における大切なパートナーとして、あなたの支援に感謝します。この支援は、私たちの世代が、極度の貧困、飢餓、そして防ぎうる疾病を終わらせることができることを示すものです。
変わらぬ支援とパートナーシップに感謝いたします。
2009年7月24日
John W. McArthur
CEO, Millennium Promise

気仙沼中学校からいただいた感想文をご紹介します。

7月10日、気仙沼中学校で理事長・鈴木りえことユースの会代表・中野宏一が講演を行ったことはすでにご報告いたしました。その後、講演を聴いた生徒さん達が、感想文を送ってくれました。全てご紹介したいところですが、一部抜粋してご紹介します。
みなさん熱心に聴いて感想文を書いてくださり、ありがとうございました!
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☆中学2年 Oさん
小さい生まれたばかりの子供たちが毎日、毎日確実に死んでいく、それをただ私たちは見て見ぬふりをしてきた、それが僕には一番耐えられなかったです、たった一杯のコーヒー(の価格で―注釈:MPJ事務局)で1人の命が助けられるということに、僕は感動いたしました。

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